一次情報の女の続きです。
AIで情報は手に入る。だからこそ、最後に人が求めるのは「答え」ではなく、自分の現実を踏まえて一緒に考えてくれる人なのかもしれない。
AIをめぐって人と話す機会があり、改めて考えたことがあります。
いまは、調べもの、情報の整理、文章のたたき台、アイデアの可視化まで、AIが驚くほど速く手伝ってくれます。以前なら何時間もかけて集め、並べ、考え始めていた材料が、ひとまず目の前にそろう。知りたいことへの入口は、圧倒的に近くなりました。
でも、情報がそろったからといって、決められるわけではありません。
たとえば、「この施策を進めるべきか」「この市場に入るべきか」「この製品を導入して本当に現場は楽になるのか」といった問いです。AIは選択肢も、一般的な成功例も、注意点も教えてくれるでしょう。けれど、その会社の顧客が何に困っているのか。社内で誰が反対し、誰が負担を引き受けるのか。うまくいかなかったとき、何が失われるのか。その現実を知ったうえで「今回はこっちに賭けよう」と言うところまでは、情報だけでは届きません。
欲しいのは、正解ではなく「この状況での見立て」
本当に大事な判断ほど、万人に通じる正解がありません。
似たような会社でも、顧客との関係、営業の進め方、商品が選ばれてきた理由、組織の余力、経営者の覚悟は違います。外から見れば同じ「BtoBマーケティングの課題」でも、ある会社にとっては見込み客を増やすことが先で、別の会社にとっては既存顧客がなぜ選び続けているのかを言葉にすることが先かもしれません。
だから人は、情報をたくさん知っている人ではなく、こう思える人に意見を聞きたくなるのだと思います。
この人なら、一般論で終わらせず、私たちの顧客や現場をちゃんと見てくれそうだ。
見落としていることがあれば、耳の痛いことも含めて言ってくれそうだ。
そのうえで、次に何を試すべきかを一緒に考えてくれそうだ。
これは「正解を当ててくれる人」への期待とは少し違います。自分たちが置かれた状況を雑に処理せず、判断の材料を増やし、意思決定に責任を持てる状態まで伴走してくれる人への期待です。
AIは、人の考える力を奪うものなのか
AIに頼りすぎると、自分で考えなくなるのではないか。そんな不安を聞くことがあります。
その懸念はもっともです。もっともらしい答えを、そのまま自分の答えにしてしまえば、考えることは省略されます。AIが示した情報だけを信じ、誰のための判断なのか、現場で何が起きるのかを確かめなければ、便利さがそのまま浅さにもなり得ます。
ただ、AIの使い方は「人の代わりに考えさせる」だけではありません。
自分の中にある違和感を言葉にする。見落としている視点を増やす。考えを人に伝わる形に整える。次に専門家へ聞くべき問いをつくる。そういう使い方なら、AIは考えることを終わらせる道具ではなく、考えるための助走をつくる相手になれます。
大切なのは、AIが出した答えを最終回答にしないことです。AIによって速くなった分だけ、顧客の声を聞くこと、現場を観察すること、その道を歩いてきた人の見立てを受け取ることに時間を使う。そこにこそ、人が担う仕事が残るのではなく、むしろ濃くなっていくのだと思います。
AIで、仕事は「速く」なるだけではない
私自身、AIを使うようになってから、仕事が劇的に面白くなりました。正直、そのせいでPCから離れにくくなった面もあります。
面白くなった理由は、作業が速くなったからだけではありません。気になった顧客の言葉、問い合わせの小さな傾向、商談で引っかかった一言に対して、「これは本当にそうだろうか」「ほかの見方はないか」「どんな仮説なら確かめられるか」を、以前より何度も掘り下げられるようになったからです。
AIは、資料を探し、情報を並べ、仮説のたたき台をつくる摩擦を小さくしてくれます。その分、人は表面的な結論で終わらず、顧客の言葉の揺らぎや、数字だけでは見えない事情に立ち戻りやすくなる。AIは、インサイトを深掘りするための環境を、これまでになく広げていると感じます。
ただし、AIだけでインサイトにたどり着けるわけではありません。どの違和感を見逃さないのか。誰に話を聞くのか。もっともらしい結論をいったん疑うのか。そして、得られた気づきに対して何を試すのか。その選択には、顧客や現場と向き合ってきた人の意思と責任が必要です。
AIと人が一緒に働く価値は、仕事を早く片づけることだけではない。問いを深くし、確かめる回数を増やし、次の一手の解像度を上げることにあるのだと思います。
「便利になった」は、誰にどんな負担を移したのか
新しい仕組みやツールを考えるとき、よく「効率化できる」「時間を削減できる」という言葉が出ます。
でも、その時間は本当に減るのでしょうか。ある人の作業が減る代わりに、別の人の確認や説明、トラブル対応が増えていないでしょうか。導入する人、毎日使う人、何かあったときに責任を負う人は、同じとは限りません。
製品が優れていることと、現場で安心して使い続けられることは別の話です。
とくに、顧客の業務や組織の関係性に深く入り込むBtoBのサービスでは、機能や価格だけで選ばれるわけではありません。「困ったとき、誰が支えてくれるのか」「社内で説明できるのか」「今ある仕事の流れを壊しすぎないか」といった不安まで含めて、顧客は判断しています。
だからマーケティングも、魅力的な言葉をつくる仕事だけでは足りません。顧客が何を恐れ、誰に相談し、どんな一歩なら踏み出せるのかを理解し、その不安が少しずつ解けるコミュニケーションと導入の道筋をつくる仕事でもあります。
「栗田さんに聞いてみよう」と思われるために
AIが使えるようになるほど、私自身も「何でも答えられる人」であろうとするより、こういう存在でありたいと思うようになりました。
「この話なら、栗田さんに聞いてみよう」
それは、情報を誰より多く持っているからではありません。顧客の声や現場の事情を置き去りにせず、経営者が描く未来と、実行する人が抱える現実の間を行き来しながら、一緒に考えられるから。施策を増やす前に、そもそも誰のどんな困りごとを解くのかを問い直せるからです。
AIを使うこと自体が価値になるわけではありません。AIで得た情報やアイデアを、その会社の顧客、その現場、その人たちが背負う責任につなぎ直して初めて、次の一手の意味が生まれます。
「正解をください」ではなく、「私たちの場合、どう見ますか」と聞かれたときに、誠実に向き合えること。
AIの時代だからこそ、その積み重ねが、人が選ばれる理由になるのだと思います。
HIKIDASHIがAIと一緒に育てたいもの
HIKIDASHI自身も、マーケティングにAIをどう積極的に取り入れるかを、いま模索しています。情報を集める。仮説を広げる。顧客への問いを磨く。コンテンツやサイトのたたき台を形にする。AIは、そのための頼もしい道具です。
ただし、目指しているのは、AIにマーケティングを任せることではありません。クライアントの中にあるマーケティングへのアンテナをそろえ、顧客や現場で起きている小さな変化を、組織として拾える状態にしていくことです。
AIが当たり前に情報や案を出せるようになれば、平均的なコンテンツや、もっともらしい一般論はますます増えていきます。そのなかで埋もれないために必要なのは、AIを使わないことではありません。AIを使って、顧客への問いを深くし、現場の言葉を確かめ、他社が見過ごす違和感まで扱えるようになることです。
いま、その考え方を表す言葉として、私は「ニワトリタマゴ」を考えています。これは、実務の中で感じてきたことを私なりに言葉にしている、まだ仮の呼び名です。新しい学術理論を名乗りたいわけではありません。
「にわとりが先か、たまごが先か」と答えを急ぐのではなく、にわとりにたとえた理論や仮説と、たまごにたとえた顧客の声・観察・インサイトを、どちらも同時に育てていく。すでに別のコラムで書いた、私が「創発戦略」と呼んでいる視点にも近いものです。最初に完成した正解を置いて進めるのではなく、現場で得た気づきによって仮説を変え、その仮説をもとに次の行動を試し、また新しい気づきを得る。その往復から、次に進むべき道筋が少しずつ立ち上がってくると考えています。
理論だけでは、現場から離れたもっともらしい正論になりやすい。インサイトだけでは、気づきが単発の感想で終わりやすい。その二つを行き来しながら、サイトをつくり、公開後の反応を見て、顧客の声を聞き、次の仮説へ戻していく。AIもその循環の中で使います。
Webサイトは、つくって終わりの納品物ではありません。顧客に何が届いたかを確かめ、事業のコミュニケーションを少しずつ育てる基盤です。HIKIDASHIは、構築から運用、効果の確認までを切り離さず、AIも活かしながら、短期的な効率だけに流されないマーケティング支援を目指しています。

栗田 加奈子
BtoBマーケティングコンサルタント/ひきだし代表
一次情報の女(実録) 全6話中 #04(5話目)

